『自分』とはなんなのか?
今日はこれから長らくお世話になるであろう友人の川田さんから大事な話をいただいた。
自分の中に何か思っていたことはあると思うんだけど、
話したり聴いたりするプロセスですごく納得がいくというか
鮮明になる感覚
彼はiPhoneを手に取って、
『電話とは何か?』という問いと
『電話にはどんな使命があるのか?』という問いが重なるといったのかな?
電話とは何か?
うーん
むずかしい
むずかしい問いだ
しかし、『電話はどんなことをもたらしてくれるのか』で考えると結構スッキリする
電話は、自分たち人間に遠くの人と話せるという機会、体験を売ってくれている。
自分たちはそれをよしとし購入する
まあ当たり前といえば当たり前のことだ
じゃあ、これを自分に置き換えてみよう
『志田雅貴とは何か?』
『志田雅貴にはどんな使命があるのか?』
『志田雅貴とは何か?』
うーん
人間か?!
いや人間か・・・
『志田雅貴にはどんな使命あるのか?』
電話の話を思い出すと
だれかに必要とされてはじめて『志田雅貴』が定義される
自分たちは遠くの人たちと会話することは現実的にできないので(テレパシーなら???)
電話を必要とする
そしたら、みんなができないことをやれれば必然的に必要とされるのではないか?
それって、自分にできること(長所)を磨いて自分にできないこと(短所)はできる人に任せるといったことの方が合理的でないか?
と思いました。
そうすれば、
志田雅貴を定義することが可能になるかも?
なので、イケダハヤトさんのブログの『やりたいことが見つからない人へ。やりたいことを見つける方法を解説』を参考に自分を見つめてみよう。